伸居講師、独立されます。

桜が満開になり、別れと出会いの季節になりました。
別れは寂しいものですが、次のステージに進むスタートラインでもあります。

当教室で約5年、講師としてご尽力いただいた伸居えり先生が、この度独立され、4月いっぱいでお別れです。
生徒さん方には大変ご迷惑をおかけする事になり申し訳ありません。

残ってくださる生徒さん達は私が責任を持って引継ぎいたします。
伸居講師のお教室に移られる生徒さん方、引き続きピアノを楽しく学ばれてください。

伸居先生にとってご自分のお教室を持たれる事は大変めでたい事。
ご開業、おめでとうございます!
そして今まで色々と力を尽くしてくださりありがとうございました。


2022.3.30撮影 千鳥ヶ淵にて

GO GO!まだまだ頑張ります!

桃の節句を過ぎると、何となく春の訪れを感じる陽気になりますね。

昨日、3月8日は私の誕生日でした。
タイトル通り、GO GO 歳!
まだまだイケイケ。てか、この言葉が昭和だな(;^_^A

令和のこの世になってもまだ戦争を始めた国があるなんて。
むか~しむかしのそのまた昔から、人間はずーっと同じことを繰り返してる。
欲望が膨らみ、正しい判断が出来ず、後にも引けない。
周りの人が何も言えないなんて。まるで、はだかの王様だ。

ウクライナの隣国ポーランドはショパンが生まれた国。
ショパンの生まれた頃はポーランドという名前が消えロシアの一部になっていた。

1830年ごろ、フランス革命はじめ、世界は革命の嵐。ポーランドの首都ワルシャワも革命が起こった。
母国を取り戻したいという気持ちが起こるのは当然の事。

ロシア軍とポーランドの人々は戦ったが、1831年、結局ワルシャワは陥落しポーランドは負けてしまった。

ショパンは深く絶望し、日記にこう記している。
「町の郊外地区は壊され、焼き払われた。ヤン!ヴィルシはきっと堡塁(ホウルイ)の上で戦死したんだ・・・捕虜になったマルツェルが見える・・・ソヴィンスキ、あの善人が悪党の手中に!・・・神よ!いるのか、いるが復讐はしないのか!・・・これでもまだロシア人の犯罪に飽き足りないというのか。」

「革命のエチュード」が作曲されたのは、この頃。1831年9月。
激しい感情が渦巻く、この練習曲には、失われた祖国への深い絶望が反映されている。

ショパンはロシアの支配下にあった祖国へは帰国せず、無国籍者としてパリでその生涯を閉じた。
遺体はパリに埋葬されたが、心臓だけは祖国に埋葬してほしいというショパンの願いを叶え、姉がコニャック付けにした心臓をドレスの下に隠してワルシャワに持ち帰った。今もなお、ワルシャワの聖十字架協会の柱の中で静かに眠っている。